松井拓夫はふるさと福井のために頑張ります!

ごあいさつ

一人ひとりの議員は議会制民主制のもと県民から選ばれ、それぞれの地域において責任と義務をもち、県民の期待に応えて活動することこそその使命であります。
  各地域を代表するものとして、多くの情報を持ち、その伝達者としての役目を果たさなければなりません。
  現代のような厳しい時代には議員も理事者と一緒に知恵を出し、豊かな県民生活を築き上げるための政策づくりが必要です。
今後も県政への取り組みをご期待、ご支援下さいますようお願い致します。

戦争を語り継ぎ、平和を守ろう

戦争を語り継ぎ、平和を守ろう
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 今年のお盆は「戦争と平和」について深く考えると共に、亡父が歩んだ道にふれることができました。8月11日に勝山市中央遺族会の「平和と戦争を語り継ぐ会」が開催され、「満州事変と開拓団の悲劇」と題して、副会長の中野栄先生が報告されました。
 これは福井テレビで放送され、それによりますと1930年代以降、政府は農民の救済策と「満州国」の統治政策として約27万人を満州に送り込んだということです。
 その中の「満蒙開拓青少年義勇軍」についてお話し下さり、その悲劇に心が痛みました。  

 ときの政府は15歳以上の少年を対象に市町村単位に割り当てて「広大な土地が手に入る」と呼びかけ募集しました。少年たちは大きな夢をもって大陸に渡りました。県内で義勇軍に加わった少年たちは2,000人にのぼるということです。その第1陣として小学校の教員をしていた、亡父の松井伝兵衛が231人の「松井中隊」を統率していきました。母と3男の兄と姉を伴っていました。そして出産が近づいた母と子供を日本に帰し、生まれたのが私「拓夫」です。「開拓の拓」私が父に感謝している大好きな名前です。兄と姉はこのことで「中国残留孤児」とならずに帰ってこられたのだと思われます。

 しかし、その運命は過酷なものでした。今でいえば中学を出たばかりの14・5歳の少年たちが訓練生として厳しい開墾をし、軍の予備軍として銃の練習もさせられました。国にも帰れない、親にももう会えない。少年たちの思いはいかばかりだったことでしょうか。あげくはシベリアに抑留され、飢えと寒さ、過酷な労働のもとに大勢が亡くなりました。
 ある訓練生とその拓友の奥様が今も文通されていて、私がたくさんの書簡をお預かりしています。その内容には苦難や真実、思いが綴られていて感動がいっぱいつまっています。皆様にご紹介できる感動物語がきっと近いうちに大きく報道されることを期待したいと思います。  

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